祝福を受けること
あらゆるものが祝福を受けて
存在が成り立っているのですが
その祝福がまったく念頭にない人がおられます。
本来、すべてが豊かであるようにというのが
ソースの意図であり
無条件にすべてを祝福しつづけています。
ところが
豊かな人と、貧しい人とがおられるのは
どういうことなのでしょう ?
それは心の状態の違いなのです。
すべてに感謝をすることがなく
不平や不満、怒りや恨みを抱いていれば
そのような波動は祝福の波動と相容れず
せっかく届いている祝福をはね返してしまうのです。
食べ物を食べるとき
いただくものをありがたく感謝をして頂けば
心身の滋養になり健康が保てます。
栄養のバランスを考えずとも
要点は感謝なのです。
キリストが何を食べようと思い煩うなかれ
と述べられたのは至言であり
生命は愛で成り立っているのです。
ずいぶん前のニュースで
アメリカの少年がバナナサンドしか食べず
母親が困惑しているという記事を目にしました。
バナナとパンしか食べないのに
少年はいたって元気であり
何も不都合は生じていないのです。
少年は大好きなバナナを満足して食べているので
バナナに宿る生命力が身体に必要なものに変化し
健康を保っているのです。
反対に、たとえ栄養バランスがOKな
食事をしていても、感謝がなければ
不都合が生じるのです。
一事が万事、それが当てはまり
何事にも感謝をしていれば
ソースの祝福はあらゆる面ではたらき
精神的にも物質的にも豊かさが流れこみ
何も困ることがないのです。
貧しさは祝福に心を閉ざしているゆえであり
いま改めて、感謝という扉を開ければ
いくらでも豊かに健康に成れるのです。